大学中退そして・・・
いい日旅立ち
大学での4年間が終わろうとしていた。
単位が足らず卒業できない僕は、留年ではなく中退を選んだ。
親のお金で大学に行かせてもらっていたくせに、最低限の結果さえ出さずに逃げ出したことは、20年以上経った今でも“恥”として僕の心に刻まれている。この頃のことを思い出すと、苦虫と泥水とハバネロソースを混ぜたものを一気飲みしたような表情になってしまう。
ただ、その時の僕には、もう一年大学に通うというのはあり得ない選択だった。“親の庇護のもとの大学生活”という居心地良すぎる環境が逆に気持ち悪く、一日でも、いや、一秒でも早く、生まれ育った名古屋を離れたかった。
僕は泣きながら両親に土下座し、中退させてもらうことにした。
その時の僕には「役者になる」という夢があった。当面の目標は、家を出て役者修業をするということだった。
ただ、何をするにしても資金がない。
何かいい仕事はないかと求人雑誌を調べると、農家住み込みの求人が何件もあった。
何件もあったのだが、仕事開始時間がどこも朝の5時。
まだ甘えの抜けきっていない僕は、朝5時から仕事をすることに猛烈な拒否反応を覚えた。
そんな中、ただ一件だけが「朝7時から」となっていた。僕は迷わずそこに応募をし、なんとか雇ってもらえることになった。
住み込み先は長野県の野辺山。
何の前情報も得ず、僕は野辺山へと向かった。
北国の春
作詞家いではくさんは野辺山が故郷で、その野辺山をイメージして名曲「北国の春」を作ったそうだ。
JR小海線から見える車窓の風景は歌の通り白樺の森が多く、名古屋あたりの森しか知らなかった僕にとってはとても新鮮で、旅立ち気分を大いに盛り上げてくれた。
野辺山駅に到着。
JRの駅の中で最高地点だそうだ。そのせいか、4月だというのにかなり肌寒く感じたのを覚えている。
ほどなく農家のご主人が迎えに来てくれた。筋肉質な体に日焼けした肌。短いパンチパーマの下には龍のように鋭い眼光。
昔話に聞いた“鬼”とはこの人のことに違いない。
「きみが笠原君?」との問いに、思わず「いいえ」と答えそうになった。
ご主人の車に乗り込む。
車中で仕事の説明を受ける。
「今日はもう遅いから休んでくれればいいけど、明日は朝5時から牛の世話してもらうから」
え? 朝5時?!
「求人誌には朝7時って書いてありましたよ。話が違うじゃないですか」と、そんなことを鬼に言えるはずもなく、「はい、分かりました!」と、自分を鼓舞するために大きく頷いた。
※何ヶ月か経ってから時間のことを聞いたところ、「朝5時じゃ、誰も応募してこないからね」と茶目っ気たっぷりの回答を頂いた。
この日から僕の“北国の春”は始まったのだった。
続く